京都も少しずつ秋の深まりを感じています。コロナ感染者が少しづつ増加してきていることが心配です。
アメリカの大統領選挙の混乱を見いると、「民主主義」って何なのか、改めて考えさせられます。権力者が意に沿わない者を次々と排斥し、意に沿う者だけで固めてしまう。たくさんのスタッフを解任し、連邦最高裁判所さえ無理を押し通そうと画策する。証拠もなしに票が盗まれたと選挙の無効を訴え、駄々をこねて大統領職にしがみつく。滑稽でさえあります。
待てよ、同じようなことがわが国でもおきています。意に沿わない官僚を次次と排斥し、経済政策を批判する日銀総裁をすげ替え、政権の宣伝機関とするためにNHK会長をすげ替え、従前の憲法解釈を無理矢理変更するために、内閣法制局長官をすげ替え、忖度してもらうために定年制度を変更し検事総長をごり押しで意中の人物にしようと企てました。最高裁判所裁判官の任命に当たっては、弁護士会の推薦を無視しました。
そして、承継者も学術会議会員の任命にあたって、権力者を批判する者を排斥しました。
民主主義とは、権力者が異なる考えを持つ者たちの存在を認め、議論を通じて進むべき方向を確認していく作業である。そこには、絶対的正義は存在せず、「もしかしたら、相手の言っていることが正しいかも」という謙虚な姿勢が不可欠なのです。裁判所には時として間違ってしまう権力者をチェックする役割があり、そのためには行政機構からの独立が必要なのです。学問の自由の保障のためにも同様に政権からの独立が必要です。
わが国でも、民主主義が危機に瀕しています。思想信条を超えて、民主主義社会を守っていくことが重要になっています。学術会議会員任命問題は、民主主義社会を守っていくためにとても重要な課題です。