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若者は何を考えているか

一昨日、東京でエキタスの若者2名からいまの若者の状況について話して貰いました。私たちが若い皆さんにどう接するべきなのか、大変参考になりました。発言のごく一部を紹介します。


・ 自己責任として、問題を引き受けて若者は生きている。どんな問題でも自分が悪い、自分が選んだと言われる。本当は選ばざるを得なかったのに、選んだということでそれを引き受けることになり、困難な状況を選び取って生きているという状況。

・ そうじゃない若者は傲慢に見える。例えば、私みたいな社会運動をやっている人間が「貧困は自己責任ではない」と言い、生い立ちを話し、生活が苦しいと言うと、他の若者からは、私は自分が無能だと言っているのと同じだ、自分の責任を引き受けないわがままな人間だと写る。自己責任を引き受けることが当たり前なので、だから社会運動も起こりにくく、運動も起こりにくい。

・ 姉は、体育会に入った。その先には就職があるから。就職するにもお金がないといい会社には入れない。学科専攻も就職にいい学科を選ぶ。お金を稼ぐため、いい就職口に入るため。大学は勉強する場でなくなっている。終身雇用もなく、年功序列もなくなり、若者はどこに希望を見出せばいいのか、わからない。お金がない、働かないのは、結局、自己責任。

・ お金がないと何もできない時代。学生は、いい会社に就職するためには何をやろうかと考える。いったい、何のために生きているのか、わからない時代。そんなことだったら、もうここで人生を終わりにしてもいいと思ってしまう学生もいる。

・ 運動している時間があるなら働けばいいと言われる。ぎりぎりのラインで働いている人は声を上げられない。誰かが、代わりに声を上がる必要がある。私は、まだ自分にはそれができるので、ギリギリのラインで生きている人のために、せめて自分が声を上げなければならないと思っている。でも、ギリギリのラインで生きている人は、私のような人には、活動する時間があるなら働くべきという。最低賃金水準で働くようなぎりぎりで必死に生きている人は、声も上げられない。

・ 政治に対して、若い人たちはアレルギーを持っている。帰って寝るだけというくらい働いているので、「社会の問題を考えろ」「選挙に行け」というメッセ-は、煩わしく、暴力的に写る。

・ 「何も言うな」という空気の中で生きていて、何か声を上げる人は、国に責任を求め、自分に責任を引き受けていない、だらしない人間だと写る。

・ そういう人たちが翻るほどのいい提案、いい政策があるならば、若い人たちで、無関心に見える人たちにも力をもち、興味を持ってもらうこともありうる。今は、そういうものがなく、押さえ込まれている。アレルギーを持ち、何にも知らない、バカなふりをしている。


若者が求めているのは、まさに「希望」です。希望の持てる確かな政策提案こそ、社会変革の鍵です。京都では来春、京都府知事選挙があります。若者に希望を与える確かな政策が提起されることが重要ですね。

by 中村和雄  カテゴリ: | コメント(0) | トラックバック(0)

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