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2017年12月アーカイブ

毎日新聞が人口統計や家族構成の専門家として国際的に活躍するフランスの歴史人口学者、エマニュエル・トッド氏にインタビューした記事が掲載されています。人口減少が国の存続にとって危機であると警告し子育て政策の充実と社会意識改革が急務と訴えています。一部を引用して紹介します。社会保障の充実が決定的に重要であることが理解できます。

 --日本では若年層が経済的な事情で結婚も出産もできない状況がある。フランスではそういう話は聞かない。

 ◆フランスでは国による子育てや教育の保障がしっかりしていることがわかっているから、若い人たちは安心して子どもを産める。保育所は無料、大学さえも無料だ。学生のときに子どもを産むことも珍しくない。国の保障がないと家族の負担が重くなる。韓国では家族の負担が過剰なために(少子化は)深刻だ。日本も甘く見ていられない。子育てに関する家族の負担が重いと、結局は家族がなくなってしまうことになる。

 --フランスの若年者の失業率は高いが、それでも出生率は高い。

 ◆公的な住宅手当や家族手当が充実しているので、仕事がない若者も親元を離れて自立した生活ができる。フランスはデンマークとともに唯一若者に自由を残している国と言える。ただし、今はマクロン大統領が唯一うまくいっている機能を壊しつつある。(住宅手当をカットするなどの)新自由主義的な政策をどんどん実施しているために、出生率も下がることが懸念される。

 --フランスでは結婚していなくても、安心して子どもを産めることが出生率改善の一つの要因か?

 ◆婚外子も国の子育て支援の対象になっているのが出生率の改善に大きく貢献した。フランスではあまり考えすぎずに子どもを産めるということが出生率の改善に効果を発揮している。「何年も一緒に過ごしているから子どもでも産もうか」と気軽に考えられる。結婚せずに一緒に暮らしている事実婚のカップルは多い。子どもが1~3人できてから結婚することがよくある。表面的には無秩序に見えても、それが成り立っているのがフランス。個人ではなく社会全体が寛容であり、社会保障の制度がそれを認めている。

一昨日、東京でエキタスの若者2名からいまの若者の状況について話して貰いました。私たちが若い皆さんにどう接するべきなのか、大変参考になりました。発言のごく一部を紹介します。


・ 自己責任として、問題を引き受けて若者は生きている。どんな問題でも自分が悪い、自分が選んだと言われる。本当は選ばざるを得なかったのに、選んだということでそれを引き受けることになり、困難な状況を選び取って生きているという状況。

・ そうじゃない若者は傲慢に見える。例えば、私みたいな社会運動をやっている人間が「貧困は自己責任ではない」と言い、生い立ちを話し、生活が苦しいと言うと、他の若者からは、私は自分が無能だと言っているのと同じだ、自分の責任を引き受けないわがままな人間だと写る。自己責任を引き受けることが当たり前なので、だから社会運動も起こりにくく、運動も起こりにくい。

・ 姉は、体育会に入った。その先には就職があるから。就職するにもお金がないといい会社には入れない。学科専攻も就職にいい学科を選ぶ。お金を稼ぐため、いい就職口に入るため。大学は勉強する場でなくなっている。終身雇用もなく、年功序列もなくなり、若者はどこに希望を見出せばいいのか、わからない。お金がない、働かないのは、結局、自己責任。

・ お金がないと何もできない時代。学生は、いい会社に就職するためには何をやろうかと考える。いったい、何のために生きているのか、わからない時代。そんなことだったら、もうここで人生を終わりにしてもいいと思ってしまう学生もいる。

・ 運動している時間があるなら働けばいいと言われる。ぎりぎりのラインで働いている人は声を上げられない。誰かが、代わりに声を上がる必要がある。私は、まだ自分にはそれができるので、ギリギリのラインで生きている人のために、せめて自分が声を上げなければならないと思っている。でも、ギリギリのラインで生きている人は、私のような人には、活動する時間があるなら働くべきという。最低賃金水準で働くようなぎりぎりで必死に生きている人は、声も上げられない。

・ 政治に対して、若い人たちはアレルギーを持っている。帰って寝るだけというくらい働いているので、「社会の問題を考えろ」「選挙に行け」というメッセ-は、煩わしく、暴力的に写る。

・ 「何も言うな」という空気の中で生きていて、何か声を上げる人は、国に責任を求め、自分に責任を引き受けていない、だらしない人間だと写る。

・ そういう人たちが翻るほどのいい提案、いい政策があるならば、若い人たちで、無関心に見える人たちにも力をもち、興味を持ってもらうこともありうる。今は、そういうものがなく、押さえ込まれている。アレルギーを持ち、何にも知らない、バカなふりをしている。


若者が求めているのは、まさに「希望」です。希望の持てる確かな政策提案こそ、社会変革の鍵です。京都では来春、京都府知事選挙があります。若者に希望を与える確かな政策が提起されることが重要ですね。


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